斧渕城
【城名】斧渕城・国司城・古城
【築城年代】長元8年(1035年)頃?(不明)
【築城主】大前氏
【主な城主】大前氏流東郷氏・渋谷氏流東郷氏
【現住所】鹿児島県薩摩川内市東郷町斧淵
平安時代の長元八年(1035年)頃から、在国司大前氏(おおくまし)がこの地に居を構え
斧渕城(別名:国司城・古城)と呼称し、南北朝時代までの約三百有余年居城とした。
渋谷氏流東郷氏は早川実重(渋谷光重次男)が宝治2年(1248年)に他の庶流と共に薩摩国へ下向。
実重は最初、車内(現:薩摩川内市田海町)へ館を築き車内氏を称した。
渋谷車内氏と大前東郷氏は次第に対立する様になり、渋谷車内氏6代氏親の時に大前氏の鶴ヶ岡城を奪い取り、以後よりここを本拠とした。
その後、大前氏当主大前国司入道道超が没し、正平12年/延文2年(1358年)その遺領が7代右重に与えられ、渋谷東郷氏の東郷別府統一が成された。
写真は斧渕城本丸跡にある、古城殿石塔跡の案内柱。
案内柱の後ろはこのような坂になっており堀切を感じさせる。
表の通りからの堀切
表示板がある為、斧渕城へも行きやすい。
私有地の隣にあるあぜ道を進みます。
しばらく行くと鳥居が見えてきます。
鳥居の前に斧渕城跡の石碑
石碑の向こうは急な斜面になっており、山城の雰囲気が感じられる。
資料等を確認すると、この古城殿石塔がある山だけが斧渕城跡と記されているが
道路を挟んだ向かいの山も一部だと想像できる。
古城殿石塔
古城殿石塔は、斧渕城本丸跡に豪族「大前東郷氏」の霊を供養するため、その子孫が供養塔として建立したとされます。
「斧渕氏」は大前東郷氏の子孫にあたる。
古城殿石塔
言い知れぬオーラを感じる。
斧渕氏
武士として各地に散った斧渕氏末裔の方々が出資し建立されたものとわかる。
最後の写真は古城殿石塔の反対側にある墓塔。
近くに住んでいた方の古い墓塔か…?
はたまた斧渕氏関係か…?