若宮神社
神社名:若宮神社
御祭神:島津常陸守忠兼公・島津久光公・山田昌巌公
創建:寛永十三年(一六三六)
例祭日:八月七・八日(旧七月八日・祭神命日)
旧社格:無格社
鎮座地:〒899-0501 出水市野田町上名6466
神事・芸能:昭和六十年代までは例祭に山田楽(県無形文化財)の奉納があった。
御祭神
島津常陸守忠兼公
・薩州家第六代島津義虎公の叔父
神社境内は忠兼公の居城跡で、亀井山城に対して新城と称した。文武に優れた野田領主であったという。
永禄八年(一五六五)三月二十三日島津忠兼は薩州家島津義虎の命により、堂崎城主天草越前正を攻め、汐見の板場の鼻に軍を上陸、汐見で激しく戦ったが破れなかった。
しかし、夜陰に乗じて城川内に進軍した島津軍は、翌二十四日暁、堂崎城に一気に攻めかかった。
島津氏に通じる天草の志岐氏・栖本氏も海から応援し、一方、堂崎城では女・子供まで必死に防戦した為、激しい戦いとなったが、ついに落城した。
城主越前正は切腹して果て、位牌は長光寺に安置された。
これ以後、長島は薩摩藩となり現在の鹿児島県域へとつながる。
堂崎城(長島)攻略の後、残党の讒言にあい、三カ月後の七月八日、出水亀ヶ城に呼び出された忠兼は島津義虎によって誅殺され非業の最後をとげた。
翌年には、野田・長島で悪疫が大流行し、死者が多数でたので人々はこれを「忠兼の祟りだ」として恐れた。
後義虎は、忠兼の無実と自分の非を認め、忠兼の墓を建て、居城であった新城跡に若宮神社を建立し、霊を慰めたという。以降、悪疫は治まり命日である旧暦七月八日に祭礼が行われている。
境内
古い写真をみると本殿の前に社殿があったと思われるが、老朽化の為か現在は取り壊され礎石のみが残る。
御祭神の顕彰碑がある。
新城跡
恐らく神社のある、ここが新城本丸跡だと思われる。
神社鳥居からの参道は堀切の名残か。
ちょっと見辛いが石垣も残る。
明治期のものか?
今回は時間が無かったが、そのうち亀井山城跡と一緒に散策したい。
場所
場所は野田郷武家屋敷のすぐ近く。
近くには武家門なども多く見所が多い。