大日如来・阿弥陀如来・薬師如来・勢至菩薩・地蔵菩薩・不動明王・毘沙門天・焔魔天・大勝金剛・執金剛神
など種子四十一字を刻んだ摩崖仏が現存。
梵字と一緒に貞治二年(1363年)二月八日の年刻があり、概ね南北朝時代の作と思われる。
この時代、久住は入来院氏六代「入来院重門」が領主。
入来院重門が岩壁に梵字種子を刻み、仏神を祀ることを戦勝祈願とし戦乱の南北朝時代を乗り越えようとした名残と考えられる。
そして薩摩川内市内(旧入来院氏領内)にはこのような磨崖仏が多数残されている。
倉野磨崖仏(樋脇)・小路磨崖仏(東郷)・栗下磨崖仏(入来)・岩屋観音磨崖仏(祁答院)
磨崖碑
石を彫り込むのではなく墨書き
墨書きは薩摩では珍しい。関東地方から薩摩入りした渋谷氏が持ち込んだか?
周辺には石塔群が散逸していた。
古い写真を見るに、ある程度まとめられていたものが散逸したと考えられる。
梵字が刻まれた岩壁。
苔や草で見えなくなってきている。
正直最初これかどうかわからなかったほど…
よくみると梵字に沿って苔が生えている。
十三仏
付近の畑の一角に十三仏と石の仏様、六地蔵塔があった。
これも関連史跡だろうか。
標柱によれば安土桃山時代の物との事。
しかしこの標柱錆びすぎて読めなくなりつつある…
かなり摩耗しているが、十三体の仏様が彫られている。
こちらは六地蔵塔。
付近であった合戦の供養塔か…?
何か書いてあるが判別不能。
家?付き石仏。
とても大事にされていたことが分かる。
よく見ると仏の作りがとても細かい。
こちらはおそらく墓塔。
木仏
久住城の麓にある仏。
かなり珍しく木仏。
状態は良いがこれから摩耗していってしまうのか…
番外編
久住城麓にはかつての郷士の屋敷跡らしき立派な石垣が残る。
これだけ立派なので高禄の郷士だったのだろう。