島原城
島原城は1618年(元和4年)から「松倉豊後守重政」が約7年の歳月をかけて築いた城。
現在は再建された天守閣でその一角に今回紹介する甲冑展示がある。
非常に見応えのある甲冑達(勿論本歌)を紹介していく。
島原藩主「松平家」甲冑
【松平家の家紋”重ね扇”】
古代、風を送れば”神やご先祖の霊を引き寄せる”ことができると考えられていました。
戦国の武将たちが、軍扇(ぐんせん)を持って指揮したのは”神意によって勝利を祈念”していたのかもしれません。
深溝松平家の主たる家紋は、甲冑や兜に見られる”一つ扇”だったと思われます。
次第に泰平の世に変わりゆく中、家紋に意匠がこり、”重ね扇”になったのではないかと思われます。扇の家紋は全国にあり、「横重ね扇」「三つ盛り扇」「三つ扇」「扇蝶」など数多くあります。
島原藩主松平氏は三河(愛知県)の出身で、松平・徳川氏の一族という旧家である。この具足も室町時代の作で、長い歴史を経た逸品。※展示解説版より
出品 松尾家
島原藩家老「板倉家」甲冑
板倉家は代々「八右衛門」を名乗り、石高1,900石を給されていた。
三河時代から松平藩主に従い、筆頭家老としての重要な役割を果たす。※展示解説版より
菱に一引きは薩摩藩の合印
何か関係があるのか…?
島原・天草一揆(島原天草の乱)関連で何か関係があるのか…?
出品 松本家
島原藩 長崎代官の甲冑
兜【六十二間古星兜】鎧【伊予札二枚胴具足】
中の丁山本家に伝わる甲冑。
室町時代から江戸初期の先。
寄贈 山本家
※展示解説版より
大槻家伝 甲冑
大津家の陣羽織~島原一の伊達男?
深溝松平6代目忠房公は、吉田藩3万石(愛知県豊橋市)を継ぎ、刈谷藩(愛知県刈谷市)から福知山藩(京都府福知山市)を経て、1669年に島原藩へ加増・移封となりました。
大槻家は福知山藩時代からの家臣で信頼が厚く。代々”郡方”(郡奉行で年貢徴収や農民統制が業務)を務めています。
陣羽織は武将が防寒・雨避け用として、甲冑に羽織るコートでした。その後、所在や活躍をアピールするファッション的な要素が加わりました。赤の前襟(えり)に、銀欄(ぎんらん)の前襟飾りを付けた華やかな装いです。おしゃれだったのは、京の都に近い福知山の武将だったからでしょうか?
大槻小六左衛門家は福知山依頼の家臣で、代々郡方を勤めた。
寄贈 大槻家
※展示解説版より
中村家伝 甲冑
出品 中村家
鈴木家伝 甲冑
内藤家伝 甲冑 陣羽織
内藤家伝 甲冑
佩楯にある「丸に二つ引き」紋が気になる…
家紋も下り藤なので、藤原氏後裔を称している藤姓足利氏だろうか…?
島原藩 弓術師範 川鍋家
文武両道を掲げた忠房公は、武芸も大いに奨励、弓術師範に「川鍋左源太」を招き、「流鏑馬」を行っていました。流鏑馬は射る力とバランスが重要。流鏑馬をする際は、正装をして笠をかぶり、腰に刀を差し、右に鞭(むち)、左に射小手(いごて)、弓と鏑(かぶらや)を持って馬を走らせます。通し矢という固定した的を目がけて矢を放ち、命中回数を競う鍛錬もありました。
島原藩の武芸をたしなむ伝統は、今日の島原にも引き継がれ、剣道や弓道など、日本一に輝く人たちが島原にはたくさんいます。
※展示解説版より
場所
営業時間:9:00~17:30(入館は17:00まで)
連絡先:0957-62-4766
入館料:大人700円 小中高350円
日本100名城スタンプ有
詳しくは公式ホームページへ
※甲冑展示は島原城内の展示スペースなので入館料必要。