藩政時代・島原城下町
藩政時代島原藩士の居が集まっていた地域。
この藩士達が住んでいた屋敷地はそれぞれに拝借しているという感覚だったのではないかと言われている。
その為、現在残っている「藩士屋敷図」が2系統残っているそうだが、一つは本光寺蔵で享保期以前の城内の様子を描いたもの。
もう一つは幕末ごろの調査を元に描かれたもので、城内と鉄砲町の様子がわかる。
詳しくは島原市公式HPにて解説あり。
徒士屋敷
徒士屋敷通りの真ん中には水路が流れ、優しい水音を立てている。
藩政時代には、この水路が徒士達の生活水として利用されたそう。
通りと屋敷を隔てる石垣が当時の空気感を今に残している。
武家屋敷
山本邸 明治元年
山本家の初代「佐五左衛門」は、松平忠房公の先代、三河(愛知県)の吉田城主「忠利」公時代から家臣となり、寛延2年(1749)、5代「忠祗」公の宇都宮移封、安永3年(1774)6代「忠恕」公の島原への所管の所替に際して随行し、その後幕末まで前後13代の城主に仕えました。
山本家は城主からの信任が厚く明治以後は「悟郎」氏「秀武」氏と合わせ10代続いております。
5代「茂親」氏は寛政2年(1790)に一刀流の免許、文化元年(1804)のは萩野流鉄砲術師範、文化8年(1811)大銃術の免許皆伝を得て、代々重職を務めました。
17石2人扶持で、門構えは最後の城主「忠和」公から特別に許されたものであります。
※現地解説板より
篠塚邸
篠塚家は代々「順右衛門」を称し祖先は三河(愛知県)深溝であるが、寛文9年(1669)、「松平主殿頭忠房」が丹波福知山5万石から7万石島原城主として移されたときに従ってきて、明治初期まで11代、8石から13石2人扶持を給され、主として郡方佑筆(書記)や代官などを勤めた。屋敷坪数はこのあたり全て3畝(90坪)である。
この縁側に座って庭を眺めると時を忘れることができた。
当時の武士も同じ様な時を過ごしたのだろうか。
武家屋敷無料休憩所 水天宮
場所
地図を見て分かる通り当時の地名がしっかり残っている。
地図を見ているだけでも色々イメージ出来て楽しめる…
湧水庭園「四明荘」
四明荘は武家屋敷跡を利用した見学施設。
雲仙岳の豊富な湧き水を利用した庭の水庭園が見事。
非常に水が綺麗で、見学者にはこの湧き水で淹れたお茶がサービスされるが、濁りの無い味わいが最高でした!
感動し過ぎて写真少なめ…
人が多くゆっくり出来ませんでしたが、縁側最高だった。
場所
しまばら湧水館 / Koiカフェゆうすい館
昭和初期に建てられた木造瓦葺平屋の屋敷で、国の登録有形文化財に指定された建物でお茶できるカフェ。
付近の散策の休憩に善き。
島原名物「かんざらし」
甘さ控えめのシロップと白玉団子が美味しい!
夏でもあっさりしてて食べやすいのが良い。