薩州島津家墓所(龍光寺跡)

薩摩史跡

概要

墓地内正面にある墓塔が、薩州島津家初代「島津用久」公とその夫人のものです。
その右側に並ぶ墓塔が、二代「島津国久」公、三代「島津重久」公、四代「島津忠興」公、五代「島津実久」公、六代「島津義虎」公、七代「島津忠辰」公のものです。
これに続いて、その婦人方や家臣等の墓となります。
また、正面左側に並ぶのは龍光寺歴代の和尚の墓と言われているもので、各地に散在していた墓塔を宝永五年(1708)にここに移葬しました。
薩州島津家初代「島津用久」公が出水で政治を始めた享徳二年(1453)から七代「島津忠辰」公が無くなり薩州島津家が断絶する文禄二年(1593)までの治乱興亡の歴史がこの地に秘められています。
※現地説明板より

遺構

墓地正面にある石の柵に囲われた場所に初代「島津用久」公夫妻の墓塔がある
歴代薩州島津家当主の墓塔も同敷地内に存在する

墓所からは亀ヶ城(出水城)が良く見える

上記地図は墓地の場所で入り口が非常にわかりづらいが下記の標柱が道沿いにある

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