概要
薩州島津氏 島津義虎
渋谷氏東郷氏 東郷重尚
【年代】永禄十一年・十二年(1568年・1569年)
【現住所】鹿児島県阿久根市大川
【近くの山城】仕剣丸城
発端
薩州家の家来に湯田兵庫という武士がいた。天文16年(1547)、出水郡の阿久根(現・阿久根市)に住んでおり、「秘蔵の飼犬」をもっていた。犬種や色柄などは不明だが、近在でよほど評判の犬だったのだろう。それを聞きつけたのが東郷家の当主、大和守重治の家来だった。残念ながら氏名は不詳である。その某はひそかに阿久根に出かけると、兵庫の家から犬を盗み出してしまった。
『愛犬の日本史』第一章 戦国・南蛮犬合戦より引用
この事件が発端となり薩州島津家と東郷家の間で20年にも及ぶ争いに突入していく…
東郷家建立「大川千人塚」
永禄十二年(1569年)八月十八日東郷勢が、薩州家領に攻め入り、島津勢と激戦を繰り広げた。
このとき東郷勢で討たれた者は八十三名、東郷方はついに境界争いを断念し二十余年続いた戦いには幕がおろされた。
この千人塚はこのとき戦死した東郷方を弔ったものと言われる。
相対して深迫には、永禄十一年の戦で戦死した島津方の千人塚がある。
※現地解説版より
東郷方千人塚から薩州島津方千人塚(薩州島津家陣跡)を望む。
下方3号線からその少し先の谷になっている所が戦場か。
場所
薩州島津家建立「千人塚」
島津義虎と東郷重尚は、永禄11年・12年(1568・1569年)の両年に深迫川をはさみ戦った。
第一回は永禄11年6月18日に両軍が衝突し、東郷方は深迫川を越えて島津方を圧倒し島津方は63名の戦死者を出し敗走した。
この時の島津方の戦死者のものである。
※現地説明板より
薩州島津氏千人塚側(薩州島津家陣跡)から見た東郷氏千人塚方面(東郷家陣跡)
薩州島津家側を少し下った所。
恐らく写真の辺り(3号線付近)が戦場になったと思われる。
薩州島津家建立「千人塚」の場所
こちらに到着するまでの道中及び一番近い道も軽自動車1台分ほどしか幅が無いので注意。
東郷方千人塚近くの旧3号線沿いに路駐すれば見学可能かと思うが自己責任で!