【神社名】南方神社(諏訪神社)
【平佐由緒書】諏訪大明神宮
【御祭神】
建御名方神(タケミナカタノカミ)
八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)
【創建】不明
【例祭日】七月二十三日(神社庁HPでは四月二十三日)
【旧社格】不明
【鎮座地】〒895-0012 薩摩川内市平佐町2091(庵ノ城跡)
【指定】無し
※鹿児島県神社庁HPより
Instagram:平佐 南方神社【公式】
神社由緒
詳細は不明だが「平佐由緒書」には下記の様に記述有。
諏訪大明神宮従古来平佐□城西□尾崎二安置候三久庄内より移し後泉水ヶ迫□遷宮
平佐北郷家祖「北郷三久」が都城より勧請したと伝わる。
平佐由緒書にあるように、元は平佐城二ノ丸、現平佐西小学校北方に鎮座していたそう。
その後開発等により、現在地へ遷座したと記録にある。

鳥居・社殿共に建て替えられたのか、コンクリート造となっている。
城の面影を僅かに残す。

社殿がある位置はかつての平佐城のうち庵ノ城跡とも伝えられ、竈門神社付近が本丸だったと推定されている。
社殿もコンクリート造となっており、古くからの面影を感じるのは手水鉢くらい。

しかし、この諏訪神社からは島津対豊臣が激突した際、「九鬼嘉隆」の勢が陣を張ったと言われる日暮丘が良く見える。
逆に日暮丘からも平佐城やその麓の様子がよく見え、指揮を執るのに最適ともいえる。
平佐竈門神社から右手の住宅街辺りが本丸跡かと思われる。
しかし昭和30年代頃の資料を読むと「住宅地開発による遺構の破壊が心配」との文言が見えることから、現在ではその遺構がほとんど失われてしまったと考えられる。
南方神社例大祭
令和七年十二月二十日(土曜日)に令和七年度の例大祭が斎行されました。
当日は招待者と当日参詣者を含め20名程度例祭に御参詣頂きました。





南方神社御朱印
平佐城御城印
この日限定で頒布致しました。


戦国末期から幕末にかけ平佐を治めた平佐北郷家に伝わる龍神伝説から龍をあしらったデザインとして頂きました。

南方神社が鎮座する場所はかつて平佐城であった。
そのことを多くの人に知ってもらう為に、御城印も作りました!
こちらのデザインは
平佐北郷家四代目までの定紋
「丸に六つ丁子」(画像下)
平佐北郷家5代目より後の定紋
「角丁子」(画像上)
平佐北郷家が平佐城最後の城主である事からこちらのデザインで作っていただきました。
またこの御朱印・御城印は平佐北郷家の仏画家で当神社筆頭役員でもあります「北郷萌祥」氏に書いていただきました。
ご要望をいくつか頂き、書置きを出来る様に調整しておりますので、書置き頒布を開始する際はSNSでお知らせいたします。
撮影協力感謝(例大祭・御朱印・御城印)
しんのすけ@鹿児島の神社社外広報
場所
駐車場:コスモス平佐店横から入り、神社前に停めることが出来る。
※自治会の資源ごみ倉庫があるので配慮して停めることをオススメ
例祭日や御朱印・御城印等の情報詳細はInstagram公式アカウントにてご確認してください。
Instagram:平佐 南方神社【公式】


