穆佐城(六笠城・高城)

山城

穆佐城概要

【城名】穆佐城(六笠城・高城とも)
【支城】白糸城・倉岡城
【築城年代】元弘年間(1331年~1334年)
【築城主】足利尊氏
【主な城主】日向伊東氏・畠山氏・島津氏
【現住所】宮崎県宮崎市高岡町小山田大字穆佐
【指定】国指定史跡

穆佐城縄張図

現地にある穆佐城縄張図。
図を見て分かる通り非常に大きな山城であったことが判る。
本記事では上記縄張図の
A~D地区及び割り当てられた数字で紹介する。

穆佐稲荷神社(曲輪4.5の間)
穆佐稲荷神社前小曲輪(縄張図6)
穆佐稲荷神社前小曲輪(縄張図6)
穆佐護国神社(縄張図21東側)
護国神社横

A地区曲輪群

縄張図2.3.4間の堀切
縄張図2.3.4間の堀切

A地区曲輪群の堀切。
こちらはあまり深さはないものの曲輪からすれば数メートル低く攻撃は容易い印象。

縄張図2.3の間
縄張図2.3 上の写真の反対側から
縄張図1から北方を望む
縄張図1から宮崎城方面
A地区・B地区間の空堀
A地区曲輪3の斜面

島津忠国誕生杉(B地区:坪之城(二之丸))

坪之城推定地
島津忠国誕生杉
貞享五年寄進の石灯籠

三国名勝図会より島津忠国誕生杉

B地区18・19の段差
左がB地区18の郭
B地区13郭
B地区郭13を背に18・19・20の郭方面
B地区8か7の郭から9の郭方向
B地区8郭
主郭高土塁
主郭高土塁上から空堀①
主郭高土塁から空堀②
主郭高土塁からC地区

主郭高土塁の上からC地区を見ると赤いコーンがある。
ちょっと見辛いが主郭より若干低くなっているのが判る。
上級家臣の謀反(リスク)対策がしっかり行われていたことが伺える。

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