【神社名】小野神社
【創建】不明
【鎮座地】薩摩川内市高江町
小野神社由緒
かつて川内川高江の辺りは潮が流入する入り江状の低湿地で、米の不作地帯でした。
そこで、第十九代島津氏当主「島津光久」(薩摩藩第二代藩主)は小野仙右衛門を普請奉行に任じ、大規模な干拓工事を行うよう命じた。
工事は延宝七年(1679年)に起工。
当時はほとんど人力の工事のうえ、しばしば洪水に襲われ、幾度となく築いては崩される難工事で、多くの犠牲を伴いました。
小野仙右衛門は苦心の末、鋸の歯の形状をした突起物を考案し、要所に設置。起工から八年後の貞享四年(1687年)に、長さ三百六十間(648m)の堤防が完成しました。その後、岩永三五郎らによる上流の八間川開削工事などにより排水も改善され、見事な水田地帯に生まれ変わりました。
小野神社奥の磨崖に貞享三年(1686年)に小野仙右衛門が刻んだとされる「心」の文字がある。
この工事には、小野仙右衛門が見た夢のお告げに従い、娘の袈裟を人柱とし、その流れに沿って鋸歯状の堤防が完成したという伝説も残っています。
※現地説明板より
小野神社

鳥居を潜り写真、中央の階段を上がると右手に下る道があるのでそこを真っすぐ進む。
道が狭いので足下が濡れている時は滑らない様に注意。

鳥居を振り返る。
苔が良い感じ。


小さな祠と「心」の文字。
高江長崎堤防

Googlemapより
上空から見た高江長崎堤防。
一部水門が築かれているが、現在でも綺麗に鋸の歯の形状を保っている。
この鋸の刃状の突起部は七ヵ所あり、潮流の調整をなすもので、工学的に価値あるものと言われています。
木曽川治水工事に先立つこと六八年前のことです。
※現地説明板より一部抜粋

「心」の磨崖そばから見た長崎堤防。

「親がやろうとて行かれよか高江、高江三千石火の地獄」と歌われた不作地帯が、小野仙右衛門の功績により、安定してお米の取れる豊作地帯となりました。
※現地説明板より一部抜粋
小野仙右衛門不屈の「心」
高江郷民、小野仙右衛門への感謝の「心」
先人を学び自らの糧とする鍛錬の「心」
ごくごく当たり前だけれどもとても大事な「心」を再認識できるとても良い神社でした。
場所
小野神社
駐車場:神社鳥居の横に小スペース有
長崎堤防
駐車場:堤防に有
石垣が古いので近付きすぎ注意!
【参考資料】
・川内郷土史 下巻
・川内市文化財要覧
【写真提供】
・しんのすけ【鹿児島の神社発信】
心より感謝!