大浦城

平城

概要

【城名】大浦城
【支城】種里城、堀越城
【築城年代】文亀2年(1502年)
【築城主】大浦(南部)光信
【主な城主】大浦氏・大浦為信
【現住所】青森県弘前市字賀田・五代

大浦光信が津軽進出の拠点として築城
嫡男の大浦盛信を入城させた。
盛信の後、政信為則と続き永禄10年(1567年)当時大浦城主だった大浦為則の婿養子として、後に弘前藩初代藩主となる為信が入城した。
大浦城は築城以来、文禄3年(1594年)に為信が堀越城へ拠点を移すまでの約90年間、大浦氏の拠点として機能した。
しかし拠点が移された後も、堀越城の支城として存続。
元和元年(1615年)一国一城令により廃城となったが、藩政期には「西の丸」に「賀田塩硝御蔵」が置かれた。

大浦城主「大浦為信」

大浦(津軽)為信は大浦城を拠点に、元亀2年(1571年)南部氏の津軽支配の拠点であった石川城攻略を皮切りに津軽地方の領有を進め、天正18年(1590年)には豊臣秀吉から津軽地方の支配を事実上認められる。
※その他詳細は堀越城編にて

遺構

今回は時間が無く…
遺構探索は断念。
いつか必ずリベンジ!
津軽弁の看板が良いなー
実際に津軽弁聞きましたが、聞き取り出来ませんでした^^;

石碑名簿の中には津軽氏支族の方の名字も見られる。

場所

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