永利城概要
【城名】永利城
【支城】向城(むけんじょう)・大塚城 ※双方とも場所は不明
【築城年代】南北朝期(詳細不明)
【築城主】不明
【主な城主】永利氏・総州島津氏・入来院氏
【現住所】鹿児島県薩摩川内市永利町大手
【永利城】
・永利城は水田をめぐらした小さな丘である。
高サ四、五丈、周回五町許、城地二二ノ丸、三ノ丸及び取添等ノ蹟ヲ存ス。当城ハ応永ノハシメ永利中務丞兼光城主ナリ。其後総州家島津山城守忠朝当城二拠ル。応永廿五年十二月入来院弾正重長、市来備後守家親是ヲ攻ム。忠朝出撃シテ是ヲ破ル。重長、奥州家島津家親、島津久豊二援ヲ請フ。久豊、佐多久信ヲ将トシテ重長等ヲ助ク。重長等又当城ヲ囲ム。忠朝救ヲ諸所二求ム。是二於テ求麻、真幸、河辺等ノ援兵来ル。久豊是ヲ聞キ、自ラ大軍ヲ督シテ三方ノ援兵ヲ破ル。忠朝、城ヲ棄テ隈之城二走ル。
※薩隅日地理纂考より
遺構


現在の永利城跡は写真の様な小高い丘が一部残るのみ。
宅地造成や道路整備などでほとんどが失われてしまっている。
城観音
写真左:虚空蔵菩薩
写真右:城 観音 江戸期
観音は石祠のみ、川内市史によると木彫の観音像が安置されていたそうだ。


虚空蔵菩薩
石祠のおかげがはっきりと菩薩が確認できる。
祠の墨書には寄進したと思われる郷中の武士の名がみえる。

場所
永利城
駐車場:無し。
【参考資料】
・川内市史
・永利郷土史
・日本城郭大系 第18巻