概要
【現住所】〒832-0069 福岡県柳川市新外町1−1(国指定名勝 立花氏庭園内)
【TEL】0944-77-7888
【Mail】info@tachibana-museum.jp
【Webサイト】http://www.tachibana-museum.jp/
【SNS】
Instagram:https://www.instagram.com/tachibanamuseum/
X:https://x.com/TachibanaMuseum
【開館時間】10:00~16:00 ※変更の可能性有り
【休館日】※要確認
【入館料】
一般:1,200円
高校生:500円
小中学生:400円
※入園料には団体割引の適用はございません。
※柳川市内の小学校・中学校・高等学校に通学する生徒および
柳川市内在住で市外の学校へ通学する生徒は入園無料。
【駐車場】
近隣の有料駐車場
本歌甲冑
鉄黒漆塗桃形兜

筑後柳河藩初代藩主「立花宗茂」~二代藩主「立花忠茂」所用
桃山時代~江戸時代初期の作と考えられるとのこと。
伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足




筑後柳河藩初代藩主「立花宗茂」所用
桃山時代(関ケ原合戦直前頃)の作と考えられるとのこと。
兜鉢地鉄の厚さは3㎜もあり、重さは4㎏で当世具足の兜としては大変重い部類。
このことからも立花宗茂公は非常に屈強な体格であった事が伺える。
鉄黒漆塗切付伊予札紺糸素懸威二枚胴具足



筑後柳河藩二代藩主「立花忠茂」所用本歌甲冑。
江戸時代初期の作だが、非常に質素な造りで実戦用として作られたのではと思われる。
黒漆塗骨牌鉄繋畳具足


こちらも「立花忠茂」所用畳具足。
島原の乱の際に立花忠茂公が予備で持参したと伝わる。
本来畳具足は下級武士が使用する簡素で折り畳みが出来る甲冑。
見た目の通り非常にコンパクトに折りたためる為、持ち運びに優れていた。
鉄錆地桜文亀甲鉄繋畳具足



筑後柳河藩三代藩主「立花鑑虎」所用具足。
江戸時代初期の作。
こちらも畳具足の部類。
残っていないのかは不明だが、畳具足が多いのは実践を常に意識していたからなのか…?
鉄錆地雲龍文打出縦矧二枚胴具足



筑後柳河藩四代藩主「立花鑑任」所用具足。
江戸時代中期の作。
胴丸の雲龍が芸術性の高い甲冑。
これを打ち出すのにどれ位の時間がかかっているのか…
鉄錆地雲龍文打出縦矧両引合胴具足



筑後柳河藩七代藩主「立花鑑通」所用具足。
江戸時代中期の作。
こちらの甲冑も雲龍が見事だが、兜にも龍文があるのが特徴。
鉄黒漆塗萌黄糸素懸威最上胴具足



筑後柳河藩十二代藩主「立花鑑寛」所用具足。
明珍国貞作。
江戸時代後期(安政6~7年・1859~60)
前立ては立花家家紋「祇園守紋」をモチーフにした前立の様にも見える。

鎧櫃の立花家家紋「祇園守紋」が美しい。
金箔押桃形兜


桃山時代~江戸時代
立花家では「金甲」と呼ばれ、戦場で一隊揃って着用させたものと思われる。
文政五年(1822)の御道具帳には「金冑」として318頭の存在が記録されており、現在も239頭が残っている。
九州地方には桃形兜が多数残っており、安土桃山時代から江戸時代前期にかけてかなり普及していたと思われる。
刀
無銘 伝 兼光



「戸次道雪」~「立花宗茂」所用
南北朝時代作
銘は無いが、古くから有名な刀工集団が活動していた備前国長船(岡山県瀬戸内市長船地区)の刀工・兼光の作と鑑定されている。
「肩落ち互の目乱れ」と称される刃文は、兼光の父・景光が最も得意とするもので、その一門によく見られる特徴である。
立花家伝来の「御腰物由来覚」は、戸次道雪が常に指料としていた本刀を、初代「立花宗茂」が譲り受け、いつも合戦に用いていたと伝える。
その後、三代藩主「立花鑑虎」が家臣に下賜したが、四代「立花鑑任」の代に返還され、幕末には戸次道雪を祀った神社に奉納されていた。
※解説板より
参考資料
「戦国を駆け抜けた勇将「立花宗茂」一次資料が語る、伝説の武将の生涯」 立花家史料館
同資料館展示解説より参考
場所
柳川藩主立花邸 御花 敷地内
駐車場は無いので近隣の駐車場利用
同施設周辺は柳川藩の城下町となり、川下りや歴史観光スポットが充実している印象。
是非合わせて訪れてみてほしい。
また本史料館はフラッシュ無しであれば撮影OKとの事。(確認済)
寛大な措置非常に有難い。
この場を借りて御礼申し上げます。

