都城島津邸

歴史関連スポット

平佐北郷「萌祥会」の方々と都城島津邸や歴史顕彰会の方々との交流の為に都城へ!
この都城島津邸の地は元々「芳井崎」と呼ばれ、明治時代以降都城島津島津家当主の邸宅となり、数多くの歴史資料と豊かな自然が守られてきた。 ※都城島津邸案内パンフレットより

剣道場

慶応3年(1867年)に作られた建物と言われている。
明治百年人物誌、渡辺甲介の項によると、明治12年(1879)に「島津邸に道場を設立し剣道を指南す」とある。ここ芳井崎に邸宅を作る際に移設してきたものと思われる。※案内板より

訪れた時には野太刀自顕流の説明と稚児鎧用紙鎧がありました。

石蔵(カフェ)

棟上げ昭和5年
道路拡張した際に解体された農芸館の収蔵品(民具)が収蔵してあったとか。※説明板より

今回は時間が無かったので行けなかったが、利用自体は無料でカフェメニューのみ有料だそうだ。

都城島津家年表

資料館内には都城島津家に関する資料が豊富に展示されている。
その一つが都城島津家年表。
島津本宗家にもつながるのでとても参考になる。

島津家家臣団家紋一覧&所領一覧

私は言わずと知れた家紋マニアですが(しらんがなw)
ずっと家臣団の家紋を一覧でみたいなと思っていたところ、まさか都城島津邸で見れるとは…
都城好きになりそう!

金梨子地 丸に十字紋蒔絵太刀拵

もはや言葉はいらぬ…
島津家十字紋をここまでふんだんに使われた太刀…かっこよすぎる…
いつかレプリカ作りたい…(´;ω;`)

都城島津家略系図

紺糸威紫白肩裾胴丸 大袖付

室町時代に流行した「胴丸」というタイプの甲冑。
胴・大袖共に紺色の糸を中ほどに用い、その上下に紫と白の糸を配している。
杏葉部分の金具には島津本家の家紋が見られる。
「庄内地理志」によると、この甲冑は元亀2年(1571)都城島津(北郷)家10代時久に従って鹿児島に出向いた重臣・津曲兼広が島津家当主義久から拝領したものとされている。

関ケ原合戦における北郷家

関ケ原合戦図
関ケ原合戦における布陣が描かれている絵図。
合戦には北郷家家臣団も参戦している。(一説には1/3が北郷家家臣団だったとも?)
この絵図には、関ケ原から逃れる島津義弘公の道筋も確認する事ができる。
歴史の節目の出来事での、島津本家や北郷家の動向を伺える貴重な資料。
※展示資料説明書きより。

関ケ原合戦北郷家家臣団参加者・戦没者名簿

北郷家分家の末弘家などの姓が見える。

都城島津邸本宅

都城島津家の家紋である丸に十字が至る所に使用されています。
それもしっかり丸と十字が切り離されています。

縁側と縁側から見る日本庭園が綺麗。
昭和天皇も宿泊し、この景色を眺めたと思うと感慨深いですね。
ちなみにこの庭、昭和天皇が宿泊する事が決まってから整備されたそうです。
それ以前は何もなかったとか…?
この庭を見るだけでも一見の価値有りです!

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