玉龍山福昌寺

寺院

島津家の菩提寺

薩摩国鹿児島郡鹿児島城下池之上町(現在の鹿児島県鹿児島市池之上町)にあった曹洞宗の大寺
創建は応永元年(1394年)島津家7代当主島津元久が建立
廃仏毀釈により明治2年に廃寺
写真は三国名勝図会の福昌寺
多い時は1500人程の僧侶が仕えていた
大分県耶馬渓の羅漢寺、山口市の瑠璃光寺をはじめ、北部九州、四国、中国地方、北陸地方にも末寺があり、末寺の数は2000寺あったとも3000寺あったとも伝えられている

現在の福昌寺

現在の福昌寺は薩摩川内市向田町「称名寺跡」にある
廃仏毀釈収束後元々の場所や鹿児島市立長田中学校の地に再建しようとしたが、許可されなかった
これを受け明治31年(1898年)京都から派遣された第72代住職の宝亀観道により、現在の薩摩川内市向田町の『称名寺』跡地に、後裔寺院にあたる「福昌寺」が建立

現在の福昌寺入り口にある阿形と吽形の仁王像は、鹿児島市池之上町の福昌寺にあったものを明治31年10月27日に宝亀観道が移設したもので薩摩川内市内では最大級

不動明王

福昌寺には不動明王の寄像もある

場所

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