妹背城略歴
妹背城・内城(右手)と西之城(左手)の間を通る県道341号線から見た妹背城
【築城】鎌倉期
【築城主】伴姓武光氏
【主たる城主】武光氏・渋谷氏流高城氏(たき)・東郷氏流高城氏(たかじょう)
【高城郷由来記】
・「この城天険により壁塁部曲わかれて三廟をなす。その一を高城といい、高さ三十間ばかり、その二を小城といい、高さ二十間ばかり、その三を西の城といい、高さ十間ばかり」と記されているが、頂上部が高城にあたること以外は、現状下部は砂取りのため変容しているので、小城・西の城は認定しにくい状態にある。
規模:200m×500m、標高:45.6m
との記載有。
※薩摩川内郷士研究会「千台」より
妹背城登城
県道341号線沿い高来小学校前アパート前にある案内板に従う
野面積みの玉石垣が綺麗な馬場に出たら左手の山手へ進む
※写真では撮影範囲とは逆方向なので注意
薩摩の麓などにみられる折れ
大軍がスムーズに入ってこれない様にする為
写真奥へ真っすぐ進むと案内が見えてくる
案内に従って先の道を右手へ
突き当りには地頭館址の碑・瓊瓊杵尊宮居地址の碑がある
民家の前を通り小さな山道に入っていくと更に案内板
土塁なのかただ道が削れただけなのか…
しばらく進むとY字路が現れるが左手は進めそうにない
右手は平坦で歩きやすい道が続く
途中矢印で案内がありわかりやすい
竹で作られた簡易的な階段だが、こういったみちでは結構有難い
ラミネートされた案内ではもう少しらしい
途中崩れた場所がある
写真に少しだけ写っているブロックは防空壕跡を埋めた物と思われる
鹿児島はシラス台地の割合が多く崩れやすい為、山城は原型を留めることが難しい
右手が内城と呼ばれる本丸跡左手も内城の一部と思われる
こちらが攻め手でも、左右の上から攻められると恐怖心がすごい…
到着
本丸跡にある旧字体の妹背城址碑がある
私よりも前に訪れた人達の写真をみると、最近になって地元の人たちが再整備してくれたことがわかる
非常にありがたい
本丸跡
これを綺麗に維持するだけでも結構大変だろう
管理人の先祖も高城地区にゆかりがあったりするので
高城麓の方々のお話しも聞いてみたいものだ
場所
Googlemapでの入り口周辺を表示する
この辺に行けば案内板を見つけることができるだろう