大源寺跡

寺院

【名前】大源寺・定祐寺・神感山大源寺
【場所】隈之城郷
【建立】円覚阿闍梨 室町時代 1460年頃
【再興】越渓和尚(入来院第12代重朝) 1539年~1541年位か?
    心巌和尚 元亀年間1570年~1572年⇒廃仏毀釈にて廃寺
【著名な人物】 入来院氏11代「入来院重聡」

「定祐寺」時代

入来院氏12代「入来院重朝」公が隈之城(二福城)を領有していた時に
越渓和尚に再興を命じ亡き父
入来院氏11代「入来院重聡」公の菩提寺として再興
法号にちなみ「定祐寺」と改めた


元亀元年(1570年)に入来院氏13代入来院重嗣が島津氏16代島津義久公へ
峰ヶ城・隈之城・平佐城・百次城・碇山城を献上した際に廃寺となった

廃寺後すぐに再興され「神感山大源寺」と改められ、明治の廃仏毀釈まで続いた

意外な繋がり⁉

入来院氏第11代「入来院重聡」の子
「雪窓夫人」は島津氏第15代当主「島津貴久」公の継室で
島津氏16代当主「島津義久」公 次男「島津義弘」公 三男「島津歳久」公
を伊作城にて出産している

ちなみにこの婚姻は、勢力拡大に盛んだった島津忠良公が長男の貴久公と雪窓夫人の婚姻を強く望んだという

他の墓塔は重聡公の近親者のものと考えられている

※雪窓夫人の菩提寺は伊集院の雪窓院跡(島津義久公が出家した寺)

場所

場所はJR隈之城駅にほど近い場所
敷地内には隈之城郷士累代の御霊が眠っているので
一言ご挨拶してからの見学がおすすめ

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