円覚山真如院法界寺
宗旨:天台宗 本尊
本山:南泉院
本尊:阿弥陀如来像
創建:享保十五年(1730)
開山:亮厳正僧正(南泉院二世)
再興:島津久儔
由緒:宮崎県北諸県郡高原町神徳院の末寺であったが、久しく荒廃していたのを島津吉貴が花岡の島津久儔に命じて花岡麓に移転・改築させた。
花岡島津家
島津家二十二代「島津継豊」公が、享保九年(1724)叔父「島津久儔」に、大姶良郷木谷村と野里村の一部を一郷として与え「島津久儔」は翌享保十年(1725)花岡と改名した。
「島津久儔」より七代「島津久敬」に至るまでの百四十五年間薩摩藩の外城としての役割を果たした。
現在の、鶴羽小学校校庭の地に地頭仮屋があり、掛地頭として時々領地の視察に来ていた。
特に二代「島津久尚」の室「岩子夫人(薩摩藩主二十二代島津継豊の妹)」は、私財を投じ花岡用水路を作った事で有名である。
また花岡島津家九代「島津久基」は文学博士で名高い。(源氏物語研究)
※現地説明板より
花岡島津家歴代当主

初代領主 島津 久儔 (ひさよし) 1687~1729
父「島津 綱貴」二男
母「江田五兵衛国重入道用ノ女」
生「貞享四年(1687)」
幼名「虎徳丸」
別名「三郎五郎・又八郎・久通・忠英・久陳・周防」
没「享保十四年(1729) 四十三歳没」
法名「潮部院殿無涯性海大居士」
二代領主 島津 久尚(久章)~1784
父「島津 久儔」嫡子
室「岩子」藩主「島津継豊」妹
生「不明」
別名「初久品・牛次郎・大学・周防・又大学桐栖常閑」
地頭職「隅州 高山地頭」
法名「宝厳院殿常閑円理大居士」
没「天明四年(1784)六月廿三日」
・岩子夫人
領地である中麓、海道町等の地用水が乏しかった為、高須川の上流新城村の中川内より水を引き数個のトンネルを通して用水供給を実現した。
その功により宝暦六年五月十四日伊敷村原良村の邸を太守公より賜った。
三代領主 島津 久敦 1743~1775
母「島津吉貴公ノ女」
生「寛保三年(1743)正月二十三日」
別名「千次郎・又八郎・播磨・駿河」
法名「最初院殿速成道智大居士」
没「安永四年(1775)五月廿一日」
※三十二歳没だが鹿屋市史には「享年二十三歳」とある。誤記か。
四代領主 島津 久弼
母「戸田平次成福ノ女」山岡市正久澄ノ養女となった後輿入
生「安永三年(1774)四月八日」
別名「千次郎・又八郎・美濃」
法名「円常院殿徳厳峰大居士」
没「享保八年(1723)十一月二十七日 四十九歳」
五代領主 島津 久寛
六代領主 島津 久誠
七代領主 島津 久敬
八代領主 島津 久実
九代当主 島津 久基(ひさとも)1891~1949
生「明治二十四年(1891)四月十六日」
没「昭和二十四年(1949)四月八日」
国文学者・東洋大学教授・東京大学文学部名誉教授
島津久基氏は花岡島津家九代当主であり源氏物語研究の権威。


墓地入り口にあるかつて使用されていたであろう門にも丸十字紋。

古い領主の墓塔は五輪塔、途中から石屋有の宝篋印塔になっている印象(全て調べられているわけではないので推測)






精巧な意匠が施されている。


花岡島津家 家紋

花岡島津家の歴代領主墓塔には通常の丸に十字紋が刻まれているが、9代当主が眠っている現代の墓塔には上記家紋が刻まれている。
本宗家と同じ家紋になるのを避ける為にさらに外丸を追加したと考えられる。
※個人的見解です。
参考資料
「鹿屋市史 上巻」
「さつまの姓氏」川崎大十氏
「島津家家臣団系図集 上巻」
場所
駐車場:隣のNTT西日本電話交換所入り口に停めさせて頂き素早く見学可。
⇒NTTの方が来たら素早く移動しましょう。


