【神社名】
一條神社(いちじょうじんじゃ)
【通称】
一條殿(いちじょうどん)・一條妙見
【御祭神】
一條天皇院使某(未詳・一條殿とする資料もある)
【合祀】
南方神社・蔵王神社・顕山王神社
【神階】
無格社
【創建】
不明(一條天皇が在位した986年〜1011年頃か(平安時代))
【例祭日】
八月八日(太鼓踊り奉納)・十二月八日
【鎮座地】薩摩川内市陽成町七〇五五-二
神社由緒
六十六代一條天皇の長保の御代新田宮の夏越祭へ院使が差遣されたことがあった。
印使は役を終えて帰京の途中、病になり当地に没したので村人はその霊を崇め祭って一條妙見と称したいわれを伝えている。
※現地説明板より
一條天皇院使某の墓塔もあるようだが発見できなかった為、見つけ次第追記予定。



異説
由緒では一條天皇院使何某は病にて没したとなっているが、高城村沿革史にはこれを否定する説があるので紹介する。
一條某勅使として奉弊の事畢るや、尚ほ新田神社の地に留まり、祠官たる権執印家の女を愛し、情緒綿々として京師(或いは大宰府)に還るの期を過まり、遂に督責を督責を蒙りて歸途に就きしも、麦之浦に至りて自裁し、其罪を謝したるものにして、實は病死に非ずと。
つまり病気説と自裁説があるようだ。
藤原姓山本氏
高城村沿革史にこんな一文がある。
「従者山本某、及び下僕四俣某宮田某、相共に麦之浦に留まり住し、某子孫今尚ほ存す」
一條天皇院使の従者に本姓藤原姓山本氏を名乗る人物がいたようだ。
この山本氏は藤原秀郷より出で、秀郷十世の孫平左衛門尉家秀に至り山本氏を名乗る。
この山本氏は院使が没した後同地に居住し現在に至る。
この山本氏の一族子孫が同地区に多数見られる。
家紋は丸に平四目結紋。
この家紋は藤原秀郷流が多く使用している。

場所
駐車場:専用駐車場有
【参考文献】
・現地説明板
・鹿児島県薩摩郡高城村沿革史 續編
・鹿児島神社庁HP

